変格謎解きって存在するのかな

 

こんにちは。あいです。12月9日です。

謎製作者&謎クラスタの謎解きについてのアドベントカレンダー Advent Calendar 2017( https://adventar.org/calendars/2700)に参加させていただきます。

 

わたしは最近は食猫倶楽部やマスタッシュで制作したり雑用したりキャストしたりしています。

今年の9月まではΦって団体でいろいろしていました。

よろしくお願いします。

 

謎解きについてなにか書こうってなっていろいろ考えたのですが、考えれば考えるほど謎解きってほんとうにいろんな要素から構成されてるなあって思います。

謎、ストーリー、デザイン、ギミック、演技、司会、それ以外にも色々あって一概には語れない。

なので今回は、その中でわたしがいちばん可能性がある部分だと思っている、ストーリーという要素について、日本の探偵小説という文学のジャンルとの繋がりから考えてみたいと思います。

 

日本で探偵小説が盛んになりだしたのは大正時代。

大正12年の関東大震災の復興によって、日本には近代的な「都市」がうまれます。

たとえばひとがひとりで生活できるアパートメントができたのもこの頃。今までは家族がみんなで大きな家で暮らしていたりだったのが、このとき「密室」というものができるんですね。隣に住んでいるひとがどんなひとだかわからない、モダンな街を闊歩する群衆のなかにどんな殺人鬼が潜んでいるかわからない……、ムラ的な空気の蔓延していた日本社会のなかから、自由で、孤独で、秘密のある人間がうまれる。でも誰の秘密がどこにあるのかはわからない。浪漫ですね。そういう背景の中に、探偵小説がうまれた。

 

この頃の探偵小説は今でいう推理小説だけじゃなくて、エログロナンセンス怪奇小説やSF、ホラー、あとファンタジーなんかも含んだ多義的なものでした。

具体的にいえば江戸川乱歩せんせい(屋根裏の散歩者・http://www.aozora.gr.jp/cards/001779/files/56649_59494.html)や、海野十三(生きている腸・http://www.aozora.gr.jp/cards/000160/files/871_41289.html)みたいに、必ずしもラストですっきり現実的な謎解きがなされなくてもよかったし、その謎解きがぶっとんでいても平気だった。むしろ謎解きよりも、犯罪をおこなう人間の心理を探求するところが重視されている面もあって、芥川龍之介とか谷崎潤一郎とか、純文学畑の作家たちも探偵小説みたいなものを書いていたっていうから驚きます。

 

それが、次第に流派が分かれていく。

SFはSFとして、ファンタジーはファンタジーとして処理されていく中で、トリックをすっきり綺麗に解明するのが目的である「本格推理小説」と、必ずしも謎解きに重きを置かない「変格推理小説」に分かれていきます。

 

わたしの人生を変えた小説のひとつに夢野久作の『ドグラ・マグラ』っていうのがあります。

小栗虫太郎の『黒死館殺人事件』や中井英夫の『虚無への供物』といっしょになって「日本三大奇書」と呼ばれているもので、変格推理小説です。

ドグラ・マグラ』のすごいところは、そこには壮大な殺人事件と謎があって、主人公は謎を解かなくてはならなくて、たくさん考えるんですけど、けっきょく最後謎なんてどうでもよくなっちゃうところなんですね。そこに至るプロセス、自分や周囲の内面を探求するところがいちばんというか。

かつて、その内面性を深くえぐる変格推理小説は人気だった。本格を楽しみたいのだったら小説を読まなくてもいい、パズルで事足りちゃうから、芸術としての文学との相性はやっぱり悪かっただろうなあと想像します。

 

長くなっちゃった。

 

ここで謎解きゲームについて考えたいのです。

 

わたしが謎解きに興味を持ったのは2014年です。

だから謎解きって流れ的にいちばんはじめはどんなだったのかとかいうことは正直ぜんぜんわかりません。えらいひと教えてください。

 

そんな新参のわたしから見るといま主流になっている謎解きって、めちゃくちゃ本格推理小説、そして新本格推理小説の流れをくんでいるように思えます。

推理もののミステリイベントとかもいろいろあるし、個人的には今年テレビ番組の「安楽椅子探偵」とか「放送禁止」とかをはじめて見てめっちゃ震えました。くそ楽しいじゃん。

 

謎解きゲームがなんで楽しいかって、たぶん「絶対解ける謎」が目の前にあるからですよね。

じぶんも主人公になれる。かっこよくすっきり謎が解ける。それってめちゃくちゃ気持ちいい。新本格推理小説、わたしは小学生のときはまって綾辻行人館シリーズとかを読み漁っていたんですけど、難しくてそこに出てくる探偵たちみたいにばっちりとすべての謎を解くのはたいへんなわけです。わたし読者への挑戦状とか絶対無理でした。

 

でも謎解きゲームってゲームだから、必ず何割かのひとがすべてを解明できる導線があるし、特に体験という形式によって、ひとにそれを解かせて納得してすっきりして楽しくなってもらうために作られている。推理小説は物語を紡ぐために謎があるけど、そこが根本的に違います。

 

「ストーリーがいい!」「世界観がすごい!」といわれる種類の謎解きというものは存在して、そういうのってなんでそう言われるのかなと考えるとやっぱり謎が中央にあって、ストーリーがそこに絡み合って全体を構成しているからなんだろうなあと思います。

謎をすっきり解くことが目的という本格推理小説の流れをくみつつ、登場人物の心情に思いをはせる、みたいなやつ。

 

それらを本格謎解きと定義するなら、変格謎解きってどんなものだろうって考えます。

謎解きの存在しない謎解き公演というわけではけっしてなく、でもその謎の存在がどうでもいいと思えるような、そして謎に対してどうでもいいという感情を抱いてそれを放棄することが許される謎解き公演。それってどんな体験なんでしょうか。

わたしはそんな謎解きに出会いたい。

 

猟奇趣味ということばがあります。

いまでこそなんかグロとかそういうものを連想しがちですが、もとは純文学作家の佐藤春夫が言ったことばです。

キューリオシティハンティング。

奇妙なものを見たい、覗きたいと思うきもちのこと。探偵小説、そして謎を成立させる根幹となるきもちです。

 

ひとは、どうして謎を解くのでしょうか。

そこに謎があるから、ってことばをよく聞きますが、でもなんでそこに謎があるのか、って考えたら、人間が誰しもこの猟奇趣味を持っているからだと思うのです。

分からないこと、なんだかすこし変なことを覗き見するのはわくわくすることです。

このきもちがある限り、謎解きは、とは言わないけれど、広義の謎は世界からなくならないでしょう。

そう考えるとなんかめっちゃたのしいですね。

 

長くなった割にあんまり内容がなかった…。

ありがとうございました。